パワースポットという言葉、あまり好きではなかった。
スピリチュアルなイメージをとても大きく感じる。
【スピリチュアル】という言葉や考え方が好きではない。
・・・といっても
言葉だけの段階で毛嫌いしていたため詳しくない。
今回初めて検索してみたら、その深さに驚愕し
そしてバカの壁が出動した。結局分からない。
そのため、ここでの【パワースポット】という言葉は
不思議な良い気が漂っている場所で
その場所へいくことで誰もが良い気がもらえる
と私が考えていたもの(それ以上でもそれ以下でもない)として
使っていく。
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なぜ好きではないのか考えてみた。
目に見えない世界=怪しい
という点?
でも待って?目に見えないものや力などを全く信じていないわけではない。
実際にユタさんの家系の方や、身近にそんな力を持っている方がいて
話をきいたり。
力じゃないけど、星占い、信じてないけどいいこと書かれたら
なんか嬉しいし、悪いこと書かれていたら忘れるようにする。
・・ちょっと信じてるのか。
言霊(ことだま)もとても大切だと思っている。
初詣とか神社へお参り、といったら抵抗ないし、一年の健康などを祈る。
「そんな気がする」とか、「気がした」とかいう言葉も使う。
直感とか、第六感とか
(思い出したくないけど、大学受験で、その大学の受験会場に
バスから降り立った瞬間、「ここには二度と来ない、ここ落ちる」
という直感が。そして落ちた。)
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じゃあなんで嫌いと思ってしまうのか?
嫌いと思うことと、嫌いじゃないことを比べてみる。
不安を煽ること
そんな力を持っているという人に操られている人
・・・・・
それに翻弄された生活、ものの考え方が好きじゃない。
というところに落ち着いた。
そのために自分の行動を決める事。
あらゆる物事の原因をそれにしてしまうこと。
より良い方向へすすむためのお守り的なものなら大丈夫。
自分の行動が99%、お守りが1%くらいの気持ち。
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近くに神社などがたくさんある地域に住むようになって
散歩しながらよく行っているうちに好きな場所になった。
そこにいることが心地よい
この景色が好き
深呼吸をしたくなる
そこがパワースポットと呼ばれる場所でも呼ばれない場所でも
関係がない。
ここが好きだな、と素直に感じるし元気になれる気がする。
嫌なことがあって腐った気分になった時、ここに来るとすっきりする。
ここを私のパワースポットと呼んでもいい。
呼び方にこだわっていただけなのかな。
パワースポットと呼ばれている場所に行きたいんじゃない、自分のパワースポットに行く!
この松並木の奥に神社があるよ。
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「選択の科学」
本人が選択することだけが最良というわけではなく
他人が選択した方がよい場合もある という章がある。
どうにも自分では選択しきれない、判断しきれない時、
苦しい選択の時。
重大すぎて、自分の力が及ばないとき。
正解や不正解が無い選択。
良し悪しだけでない選択。
そんな時は
運を天に任せるとか、
天命を待つとか、
専門家に委ねる(占いのものでも、医療などの知識系のものでも)
他力本願
くじ将軍とか
そういうものに頼る気持ちになるのもわかる。
この場合は、逃げるとか操られるとかでなく
それらに頼ることで
選択した後の重圧、後悔から解放される。
選択の使い分け。
昔からの生きる知恵の一つというのかも。
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少し年齢を重ねてきたせいか、(先月ひとつ成長しました。)
今までは「それは無理」「その考えは嫌い」とぶった切ってきたものや
全く興味を持とうとしなかったことにも考えたり調べたりするようになった。
今までにない感情を持つようになった。
根本はあまりぶれないと思うけれど、
一つの事柄の、様々な面をみようとするようになったとは感じる。
世界が広がります。