産まれたときの先天性形態異常。
そんならこんな顔の責任取ってよ
とか思うこととかあるんでしょうか?
その発想がまったくなかったのは、
自分が大事に大事に育てられてきたことを
鈍い私でも感じ取っていたためだと思います。
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幼いころに、歯の矯正と言葉の訓練に通いました。
記憶の無い頃にも手術を受けているようですし、
小学生と高校生の頃にも手術をしています。
ミルクを飲むのも大変だったようだし、
両親は大変な思いをしてたんでしょうね。
私にとっては、歯の矯正は1カ月に一回学校に遅刻していけて、
病院の帰りにパン屋さんに寄るというちょっと楽しいお出かけでした。
口唇口蓋裂は、痛みや日常動作でなにかスムーズにいかない
というものではないので、
ある程度手術をして割れていたところがふさがれば
日常生活は何の問題もありません。
じゃ、なにが問題か。
見た目についてだけです。
なのでこの鼻と口の傷が生まれつきのものなのかどうか、
原因なんて問題無かった。
これが普通になってくれればいいというだけです。
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幼稚園~小学校
見た目が今よりもひどかったんですが
私の気が強く我儘な性格もあったせいか
いじめや面と向かって言われたことは意外にもありませんでした。
(ちょっとはあるよ。)
それよりも大変だったのは、思春期の頃。
自分の気持ち次第と言われればそうかもしれないし、
自分で問題を作り出していただけかもしれない。
でも意図的でない周りの人の態度にも傷ついていました。
かわいい子
そうでない子
へのなんとなくの差別を、ちょっとした態度や言葉で敏感に感じ取るのです。
新しい人との出会いが苦痛でした。
醜形恐怖症というのが10代の思春期に多いというのは
とてもわかります。グズグズ、私なんか・・という頃の高潮期でしょう。
どうもこのあたりから私の性格がねじ曲がり始めた気がします。
強気→弱気 へと変わりました。
このころの愛読書?
面白がりながらも、わかるわかる!と何冊か読みました。
似顔絵も嫌になりました。
特徴を書かれるのが嫌なんです。
就職活動では露骨に差別をされたこともあります。(顔のアトピーもひどかった頃。)
もうさ、露骨すぎて呪うよね。ということも。
今になって思うと、
自分が身ぎれいにしていなかったせいもあるかなと思います。
だたこれも言い訳でしょうが、
「不細工なのに、オシャレをする」
ことが恥ずかしいと思って目を背けてはいました。
なにかをしたところで、この形や傷は変わらない
という拗ねた思いが根底にありました。
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最近はあまりやっていないのでしょうか。
ビューティーコロシアムという番組。
容姿やスタイルなど外見を整形手術で変え、変身させるという番組です。
整形手術を受けられる次のステージへ進めるかジャッジを
するために、色々お話をします。
そこでグズグズいう対象者の方にたいして、
色々な言葉を投げかけ褒めたり慰めたり気持ちに共感したり。時には叱咤します。
「そんな考えだから(ダメなんだ)」「周りはそんなことを思っていないのに」
当事者からしたら違うんです。
そういう思考にしたのは、周りじゃないか。
周りの人のふとした態度や扱いの差別や言葉がそんな人を作り上げたんだとも
思っていました。
ここまで書いて
口唇口蓋裂についてというよりも、ただ容姿についての
恨みつらみになってしまっていることに気づきました。
歯の矯正は器具があたる唇の裏に跡がついたり歯が動くときに
痛くて痛くてたまらなかったし、歯を何本も抜きました。
手術はもちろん怖い痛い思いや不便もありました。
それでも、その大変さよりも容姿に悩んでいた気持ちの方が
辛くて記憶に残っています。
そんなことで、くだらない、と今ならそんな風に思えたりもします。
でもこんなお年頃の思い出は、この悩みで80%を占めています。
(3)へ続きます。