オリンピックはネットのニュースや新聞で見ていました。
良い結果となり喜んでいる記事は嬉しいですね。リアルタイムでみるとドキドキしてしまうので結果がでた後に見ます。
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保育士試験の保育の心理という科目で「相互作用説」というものがあります。
発達を規定するもの、という項目の中で遺伝的要因・環境的要因、成熟優位説・環境優位説、遺伝と環境の相互作用、といった言葉が並んでいます。
色々略していますが、現在では相互作用説が一般的となっています。
《遺伝と環境の影響は、相互に作用しあっているという考え方。もって生まれた才能を伸ばすにはそれなりの環境が必要であるという考え方。環境閾値説。
遺伝的要素が具体的な形としてあらわれるためには一定の環境的要因が必要であり、また、必要な環境的要因の量や質はそれぞれの遺伝的要因の特性によって異なると考えます。》(保育士合格テキスト 上 成美堂出版)
これ、けっこう納得しました。
オリンピックに出るような選手は、(小さい頃から始める事が必要な競技は)小さい頃から毎日、毎週末何時間もかけて練習場所へいくとか、小中学生から留学とか引っ越しとか。いつもその競技で頭がいっぱいで、生活もその競技一色だったのではと想像できます。
でも頑張ったんだね、努力してきたんだね、お前も頑張れよ、と簡単に子どもに言うもんでもないと思う。
選手の親もスゴイ、とこの歳になって感じます。全てを子どものために捧げ、最高の環境を用意する。お前も頑張れよっていうあなたはそれだけ頑張れるんですか?っていう話。
選手の才能や努力に加えて、周囲の人たちの並々ならぬ努力で整えられた環境。オリンピックの選手くらいの突き抜けた人になるには、その環境もいるということ。
選手の家族ぐるみで頑張ってきたエピソードを聞いて、そこまではできないなと思う方多くないですか?
これはスポーツだけでもなく、芸能関係だったり、勉強や芸術系でもなんでもあてはまると思う。子ども4人理三の佐藤ママとかステージママとか。
次女の作品。ミロのヴィーナス。
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自分の今までを振り返ったり、周りのかたを見ていて考えたこと。
努力できるのも才能だということ。「努力する」という才能。
死ぬ気で努力すればクリアできる、とか。死ぬ気で努力することができないんだよ!と努力する才能が少なめの私はそう思う。(長くて文章がややこしくなるので【努力能】と書いていきます。)
そんなに練習したわけじゃないのに、運動ができる・絵がうまい・勉強ができる と同じように「努力できる」という才能。10か0かじゃないよ。
だからオリンピック選手は、その競技の才能素質+努力能+環境(周りの人の努力能)に優れているんじゃないかと。
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やればできるのに、と言う言葉をよく聞くけど、この言葉は好きじゃない。
これって、やればできる=やらないからできない=努力する才能が少ない
と言われてるのと同じこと。
やればできる人間だと言い訳していて、それに気づかないと永遠にできないままやね。
私自身は、与えられた課題には真面目に取り組めるけど、自ら決めた目標にむけて頑張る、ということはちょっとムズカシイ。そういう努力能低めの人。
強制的に決められたものならできる、ということです。
そういう人です。一年くらい前からコンタクトからメガネになりました。私の視力は遺伝のみのはず。
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なぜ自分は目標があるのに努力できないんだろう、頑張れないんだろう、怠けちゃうんだろう、と悩んでいた頃もあります。コツコツ努力できる人を羨ましいとも思うし、そうできない自分が本当にダメ人間に思えたこともあります。
努力できる人を尊敬もするしいいなーと未だに思いますが、若い頃考えていたような
努力できる=良 できない=悪
だけではなく、【努力】についてもっと色々考えてみるようになったのでそれを書いてみます。
次回も続きますが、全部私の考えたことだけですので、これが正しいというわけではありません。