日経新聞で、「ランナーのホンネ」というタイトルのエッセイがあります。
全文を紹介したいけど著作権でダメなのかな。
「走る」は歓喜の表現
衝動抑制 もったいない
気持ちのよい眺望、道や風、空を感じた瞬間、声をあげて走る。
神経学者のアントニオ・ダマシオによる「心(感情)は身体によって作られる」という理論などから、そんなとき『走りたい、だから走る』というステップを踏んでいるわけではないのではということ。
衝動的に体が動き走り出すことで自分は嬉しいと感じる。
走るということは歓喜の表現なのだ。
と考えると、マラソン大会のように序盤は自制し速さをコントロールするのが良いとされる場合もあるが、その湧き出る衝動を抑えてしまうのはもったいないのかも。
というのが今回の内容でした。
今朝の新聞の『ランナーのホンネ』
— 高橋裕子(はりきゅう師) (@hiroko_hari_run) 2020年7月25日
【「走る」は歓喜の表現】
心が嬉しいと感じるわずか前に体が先に反応し疾駆している、とある。
走るのが好きかわからないって言ってるわりに大会ではスタートで飛ばしすぎる自分に納得。大会はなんだか楽しいと感じていた部分にも納得。
マラソン大会の会場ってお祭りみたいなんですよ。華やかで。
中~終盤を見据えて、序盤は飛ばし過ぎちゃいけないと頭ではわかっているのに、私も毎回暴走する。後半はヘトヘトで必死にゴールするんだけどあ~楽しかった!という気持ちになる。華やかな雰囲気に体が刺激を受けているんだろう。
小学生男子が広い場所に着いた瞬間に、わけもなく走り始めたのを何度も見たけどそれにも納得。
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心が嬉しいと感じるわずか前に体が先に動く、動きが心をつくる(身体知性 感情身体論)ということ、施術する鍼灸にもつながります。
「恐怖」という感覚は、「動悸の高まり」や「浅い呼吸」といった自分の身体の状態を解釈することで生じているのであって、身体の変化がなければ気づけないということです。身体が先であり、心は後。鍼灸は先の先を攻めていくものです。(身心和合編 講義より)https://t.co/SMOsymIti7
— 整動協会@鍼灸師のための臨床研究会 (@seido_office) 2020年7月27日
体を整えることで感情も整うという流れ。
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走るだけじゃなくて、眺望の良いところについた瞬間に大きく背伸びをして深呼吸をするとか笑顔になるとかもそうだと思う。
気持ちがいい!➡ 笑顔になるぞ!という流れじゃなく知らないうちに笑顔になってる。
笑いヨガもいいんだろうと思う。