ジャムの研究に触れた内容のエッセイを読み
研究内容に興味を持ち
選択の科学(シーナ・アイエンガー) を読んだ。
広く知られている研究で、本も有名らしいのですでに
読んで内容を把握している方も多いかと。
( ジャムの研究=豊富な選択肢は必ずしも利益にならない)
ひたすら実験の結果と考察が述べられ、
それが自己啓発や啓蒙書ではないということと
その実験がとても身近な状況の中で進められているため
自分に置き換えた場合が想像しやすく
興味をもったまま一気に読み進めることができた。
・・一気に読んだけれど、これは一気に読むものじゃない気がする。
【選択】についてこれだけ考えたことは初めてだ。
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第3講【強制された選択】から
上手に要約できないので、(主に見出し)羅列。
・人は自分が思うほど他人と変わらない
・誰もが自分は個性的だと思い込んでいる。
・人はそのほか大勢とみられることに我慢できない
・自己認識を錯覚で変えていく
・他人にどう思われているか
・・・読んでいる最中
SNSでの【意識高い系】という言葉がよぎった。
自分の本当にやりたいことを見つけたい
自分に合った仕事をみつけたい
自分らしさをだせることは何か
自分が輝ける場所
そんな言葉をよく聞く。
その考えも、「強制された選択」なのではないかと気づく。
自分はこういう人だからこれは向いている、向いていない
【自分が思う自分】と【他人から見た自分】は大きく違うという事実
からしたら、これは知らないうちに自分で選択を狭めているといえるのかも。
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どの分野でも
いわゆる成功している人、と周りから認められているような人が
【私には特別なセンスや能力があるというわけではないので
人一倍努力した】
と書いている文章をよくみる。
あなたに特別なセンスや能力がないといったら、
まったく凡人の私はどうしたらいいのか?
私のセンスはミジンコ程度!
そんなこと言われたら希望なくなるじゃん!
才能あるって言っちゃえばいいじゃん!
と思ったことも何度もある。
でも、そういう人たちは
ただ頭がいい、センスがある、才能があるというわけじゃなくて
心の底から今いるその世界が好きなんだろう
と最近思えるようになった。
その世界を大好きで、面白いと感じていて
新しい発見に心が躍り感動し、
そしてさらにそれが人の役に立てるとなればとても幸せなことだ。
という気持ちが力になって突き進んできたのだろうと。
そこに、今の環境を選択したことが正解なのか、間違いなのか
という迷いは存在していない。
今の環境が
望んだとおりの環境でも
うまく行かなくてそうなってしまった場合の環境でも
これからの選択の積み重ねで変わるのかもしれないと考えると
未来は広がる。
VIVA 鍼オタク ♡ 灸オタク♡