言い訳と弱音を吐くこと
言い訳は嫌いじゃない。
だって○○だからできない
だって○○だったからどうしようもない
どう聞こえようとも、
言っている本人はそれが本気で理由なので。
「だって」という言葉、以前とても多く発していたため
その気持ちがわかりすぎるほどわかる。
(「言い訳」と言われると、なんでわかってくれないの?
本当にこうなんだから!と怒りの気持ちが芽生える。)
だってこんな毎日 ↓↓
ちょっと、と頼れる人がいないところでの育児。
このイラストを地でいく毎日。
(10割経験あるわ。女豹って言葉知ってたらな~それをやってる自分に笑えたのに。)
姿形を変え、子供が3歳まではこんな毎日。
お風呂入るの嫌がるし、出る時また嫌がるし。
毎日が必死。
子どもを預ける(定期的に通う保育園などは除いて)
ということがどれだけ覚悟がいるか。
よっぽどの理由が無い限り、最初の一歩のハードルは高い。
(そんな状況を変えようと今は色々な仕組みが作られているようです)
お子さんはどなたかに預けてご参加ください という言葉。
今でも見るたびに
これは身近に預ける人がいた育児環境のひとが
書いたんだろうと思ってしまう。
預ける人、いないものはいない。
だったら参加やめる。行くの諦める。
痛いのだってひどくなるまで我慢する。仕方がない。
そんな毎日が続いていたら、
育児が理由以外でも、つい「だって」が出てしまうのも
大目にみてほしい。
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弱音を吐く人のほうが吐かない人よりストレスに強い、
メンタル強い、という文章を読んだ。
色々自分で検証したわけではないので本当のところは
どうかはっきりと答えは言えないけれど、
自分に関していえば当たっているかもしれない。
harikyu-takahashi.hatenablog.com
いっぱいぼやいています。
そして反応もたくさんあった。。。のも事実。
(みんな同じね。)
「弱音や愚痴を吐く」と言っても、
話すのと書くのでは違うかなあ。
どんなふうに文章にしようか、まとめようか
考えて書いていると客観的に見ることができた気がする。
書いている最中に、自分の中の気持ちが解決したっていうのも
言い過ぎじゃないかも。
私には、
人間関係など自分以外の人がかかわってくるような
愚痴や言い訳や悩みがなかったのがとても幸運だった。
そのため結局のところ
自分で悩みを作り出していただけ
ということに気づけた。
とはいえ、
隣の芝が青く青く見える日も時にはある。
定期的にやってくるマイブーム?
そんな時は吐いてぼやいて乗り越えればいいのかな。
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子どもが小さかったころ。
会社から帰ってきてご飯をたべている夫を見て、
「座って食べれるだけいいよね・・」
と本気で思っていた。
専業主婦でいられ、
子どもと毎日を一緒に過ごせる幸せと感謝の気持ちを
持たなければいけないとわかってはいたけれど
そんなふうに心で悪態をついていた。
ごめんね。